小学校1年時代の自分(発達障害児)
こんばんは。最近は鉄道や旅に関することばかりだった気がしたし、発達障害についての記事も久しぶりに書きたいなと思い、また執筆することになりました。
今回は小学校入学あたりのお話。保育園の卒園式では将来の夢について園児全員が発表する場があったのですが自分は「電車の運転士になりたいです」と言ったのを覚えています。いやいやいや 注意欠陥の特性がある人が運転士なんて とマジレス。
しかし夢は夢で持つことは別に良いと思います。何せ一番その卒園式で多かった夢は「サッカー選手」ですから。1998年度卒園生ということだけあります。自分も小学校に入ったらサッカークラブに入りたいと思ってました。
その卒園式ではじっとしていられなかったようですが、まだ保育園なので許されてた感はありますね。練習やリハーサルのときは同級生にからかわれたりひどかったようですがそれについてはあまり覚えていません。
問題は小学校の入学式。それはもうひどいものだったと今でも母に聞かされています。
大声で「もう飽きた、つまんねえ、話が長い」など、まるでグレたヤンキーのような言葉でひどい発言をしていましたが担任が機転を利かして式中にも関わらず自分と小声でお話をしてくれました。本当、小学校は特にそうですが出会った先生で人生が変わるケースもありますよね。小1のときは怒ると本当に怖かったけど良い先生でした(おばさんで定年間近だった気がした)
また入学早々、小児性紫斑病に罹り1~2か月学校に行けなくなったこともあったりして落ち着かない小1だったのを覚えています。あれは学童保育の帰りの会のときに膝を曲げると激痛が起こりはじめ、ただのケガか関節痛だろうと思いきや次の日には斑点がたくさんできて腫れもひどくなり紫斑病というガチの病気ということが判明しました。
6月中に完治し、入院も数日で済みましたが注射を10分も打たれるという(それも膝に)痛みは未だに覚えています。泣き叫んだけど医者に「針が曲がっちゃうよw」と言われたのでなんとか耐えました。痛みに対しても感覚過敏があります。
当時のれんらくちょうが出てきたのですが、忘れ物や宿題忘れが多くてすみませんでした。特に実験や課題で使う道具を親に相談し忘れて毎回持ってこなかった件と3学期の修了式前日に上級生のやんちゃな先輩たちとグルになって近くの公園で同級生ともめたときなど、最後の最後まで迷惑をかけてしまったことと思います。ごめんなさい。
でもこのときの先生や同級生は優しかったと思います。
その他、学童保育にも入っていましたが入って2日で2年生にいじめられました。また違う小学校に通う同学年の子にもいじめられていました。けっこう1年生はいじめやからかいの対象になっていたのを覚えてます。ただいじめといってもふざけの延長で非常に軽いものでした。
実際自分も上級生とつるんで同級生に嫌がらせをしたこともあります。包丁やナイフで血に染まる絵をロッカーに詰めるという中高生も真っ青になるレベルの嫌がらせを小1と小2(自分を初期いじめてたが仲良くなった)で企てて実行までうつすという卑劣さは自分のことながら怖いです。真面目に
コンビニで昔売ってたサイコ恐怖画像に子どもが書いた残虐な絵も載っていたのですがそれに掲載できるレベルです。
その恐ろしい紙は未遂で終わり、指導員や親にこっぴどく叱られました。でもいま思えばその本人に気づかれ、傷つけることにならずに済んで本当に良かった。
余談ですがその被害者の子は東大に入ったとの話を聞きました。
俺も東大ですけれど(東海大)
写真で見ると無邪気ですが、本心は邪気にあふれていたのではないだろうかと推察できます。実際友達は多く、同じ学校の同級生(1クラスしかなかった)とは楽しくポケモンやニンテンドー64で遊ぶことが多かったです。
学童保育は楽しいこともあったのですが学童の子以外の友達とは放課後遊ぶことができず、ときどきからかわれたりいたずらされていたこともあり、学童をサボるようになり小1の途中で学童を一旦休学して早くも鍵っ子になりました。
ただ家はオートロックのマンションだったので鍵を登校時に持っていくことを忘れたりしたときには同じ町内の父の店(親父は飲食店経営)に鍵を取りに行ったり母の帰りを待たせてもらったりしていました。 でも放課後に学校の友人と遊ぶのはすごい楽しかったです。ポケモンや遊戯王がメインツールだったのですがまたそれについても記事にしたいと思います。乱文長文失礼しました。
追記
ポケモンの記事執筆しました