とまどい@いっちゃんのぶろぐ

発達障害に苦しむアラサーがなんとか生きる希望を持って頑張るダメブログ

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小学校2年時代の自分(発達障害児) 初の登校拒否まで

発達障害に現在も翻弄され、2次障害をくらってる最中ですが今回も過去のことを振り返ってみようと思います。今回は小学校2年のときのお話です。

 

進級時に起こったこと

小学校生活もようやく1年間経ち、クラスで浮くということもなく(最後の最後で怒られたけどw)春休みを終えて始業式に向かいました。しかし担任発表のときから悲劇の始まりが、そして人生の運命を変える大きな出来事が起こるのです。

 

ドキドキの担任発表を覚えている人も多いことでしょう。優しい先生、怖い先生、人気の先生などさまざまな思いを持ちながら緊張して教頭か校長から発表していくというあの雰囲気。ちなみに余談ですが先生側もすごい緊張しているらしいです。子どもたちや保護者が怖かったらどうしようみたいな感じで。昔より今の方が先生は間違いなく大変ですよね。

 

1年生ときの良い先生は異動となってしまい、更に2年生の担任発表時に学校で一番恐れられている怖いおばさんの先生が担任となってしまいました。T先生。去年の2年生もこいつが担任でよく怒られて泣かされたのを見ていて、もう終わったと思ったけどその日1日は妙に優しかったのを覚えています。割と冗談言うような感じだったし。見た目で言うとあの引っ越しおばさんにそっくりなんです。あれをもっと痩せさせた感じ。しかし当時の西暦2000年という節目でそんな悲劇に見舞われるとは。

 

それからの学校生活

次の日から豹変まではしないけどえらく怖いことを言い始めました。避難訓練がその月にあり、避難者は私が飛び降りて死体になるからそれに向かって飛び降りろだの、休職残したらシバくだの、昭和の時代ではそんな先生たくさん居たらしいですが2000年ですよ、平成12年ですよ。すでに。今頃は60過ぎて引退していると思われますがモンペが増えたあたりでどのように対応したのか気になるところです。

 

さっそくうちの母親が電話して*1給食については無理しなくて良いよと声をかけられました。しかし親に言われたということからちょっとずつ標的にされていきます。

 

給食に関してはまた厳しく言われ始めて、他の女の子は泣かされていました。小2の子に残させないってけっこうきついと思うのですが。

さらに問題はそいつ、自分が野菜嫌いだから食べられないと言い始め、男の子2人にあげるという問題行動を起こしました。もちろんその場では誰も何も言わず。

明らかに矛盾してやがる。

家に帰ってさっそく親と祖父に報告し、パソコンのワープロソフトに記入してました。親はあとで訴える気だったんでしょうね。

 

その他の悪行 からの初めての登校拒否(不登校)

その他、説教が長すぎる問題や暴言を吐く、また子ども相手に親のことを否定するなどとてもではないが良い先生とは言えない状況とおかしい子というレッテルを押し付けられたことにより、自分の心が耐えられずついに病欠やただのサボり以外で初めて学校を休んでしまいました。

最初は罪悪感もありまして父親には怒られることもありましたが休んでいる間も祖父が付き合ってくれて勉強は欠かさずしており、遅れを取ることはありませんでした。今は亡き祖父に感謝ですね。 不登校でも引きこもりという事態にはならず、たびたび登校はしてたので精神状態は比較的良好だったと思います。

 

また先生が家に連行に来たことがあったのですが、父親は*2うちに呑みに来てよと誘っているのが非常に印象的でした。あとで聞いたら呑みに来たら説教してやろうと思ったんだと言ってました笑 父は当時まだ30代前半でしたが年上にもガンガンいぶつかるタイプでした。

 

埒が明かないので

親は校長を始めとする学校相手に担任を辞めさせるか変えてくれという意見陳述を提出しましたがもちろん受理されず。いよいよ俺を転校させることにしました。俺も友達と離れるのは複雑でしたがあの先生の授業を受けるのも嫌だったので納得してました。

 

ただ当時は学区問題で安易に転校が出来ない時代だったので学校側には引っ越しをしたことにするという異例の方法で手続きを進めました。 当時となりの小学校があったのですがそちらの近くの知り合いの方に住所を借りて、また地域の人にもこの件でさんざんお世話になっていたようです。

 

少しずるをしましたが転校が無事決定し、俺は長いこと学校に行ってなく、またお別れするのが辛く最後まで元の小学校に登校することはありませんでした*3 父親がクラスに教材やら荷物を取りに行ってくれたのですがクラスの女の子がお前のことを好きだったと言ってたぞと言われ照れ隠ししたことは妙に覚えてます。

そんなこんなで今回はここまでとします。

 

まとめ

なかなかノンフィクションを書くのは大変ですが、楽しくも感じたり、辛いことを思い出し、涙することもありますが発達障害よりも先生が悪いとの親や友達の認めもあり自尊心はこのとき、まだあったと思います。ちょっとずつですが書き進めていきたいと思いますのでよろしくお願いします。

 

それとこれを読んでる子育て中の親御さんへ

環境を変えるというのも手だと思いますので辛かったら転校させるというのも手だと思っています。なかなか事情がそれぞれにあるかとは思いますが子どものことを何よりも最優先に考えてあげてください。独身が生意気なことを言うようで申し訳ありませんがそういった対応で子どもは親を信用すると思いますのでどうぞよろしくお願い致します。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

*1:今思えばうちの母親もモンペと思われる

*2:父は飲食店経営

*3:6年生のときの合同水泳記録会で久しぶりに行くことになります